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夕陽 [2018年]





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8/11、先日夕陽を見たくて

大師橋まで歩いてみた。



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↓ どれがカラスでしょう



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唯一のいつ来るかわからないバスを待っていて

西の空が、だんだんと暮れてしまった時や


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25分待つものの

一向に来る気配がない時に


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あきらめて駅に向かった時の

心残りを何度か味わった挙句...



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歩いてじっくりと見てみたい気持ちになり...

そのあと、どう帰るか考えもせず・笑



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いやはや何なんでしょうか、あの暑さは、

そして、湿気は...

地獄の窯の上を歩くとこんな感じなんだろうか...

な、熱気でした。



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けれど、景色はよくて 

人通りも少なくて 気分としては来てよかった...

吹き出る汗をふきふき思いました。


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この真下に来た時のでかさは、

観光気分にさせてくれます・笑


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上を見たり、下を見たり...


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IMG_20180811_182938.jpg 人のいない時は最高。



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じわじわと暮れてゆく空と

街灯というか、道路のわきに並ぶ光の連なりもきれいだ。



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そして、思い出した。

バスの帰り道と同じだから、バス停を探そう。



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蒲田行のバスは、いつも乗るもののほかにも5通りあった。

バス停までは、

ちんたらと景色を眺めたり、写真を撮ったりしても

20分くらいだろうか...

橋を渡っている時には、かなり永く感じたけど...



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そして、空もばら色になる。

もう少し、橋で頑張っていたらきれいだっただろうか...


けど、この日は夜中の仕事があった。

むしろ、そんな日に... と思ったけど我慢ならす・笑


この日は、買い物する時間もなく仕事でした。





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後記... [秀夫ちゃん介護記録]


ほんのわずかな父との時間であったけれど、

それまでは、ろくに会話もなく

煙たいので(タバコ)好きではなかった。


刺身のつまをすべて食べるということ、

自分と同じ癖など、

新たな発見ができた。

「ああ角砂糖食べたいなぁ」と入院中につぶやく父。

『おまえもか...』甘いもの好きは遺伝だったのかな?

どうせだったら、好きなもの食べさせたかった...

そう、きっとみんなが思うようなことを思った。


前に70歳台で 母が要介護5で施設に入ったとき、

「お金たくさんもらえるからいいわね」

と、誰かに言われた妹は

「えっ、もらえるの?」

と、いろいろと調べたらしい。

ただ、母の年齢だとその対象ではなく

うちは、もともと

町の小さな魚屋で

それほどの売り上げもなく(これは、父の采配のなさ)

母の作ったお惣菜の売り上げが主なものだった。

そんななので 年金ももらえる最低分(たぶん...)。

私のもらえる予定の3分の1程度。


父の場合もそうで

介護保険でヘルパーさんを頼み、

食費(高カロリードリンク高い)や

医療費がかかった。


実質、わずかな年金では

おむつ代や食費、医療費を考えると

もらう年金を引いてもまったく足りない。

もらう年金の3倍以上の実費がかかった。

会社員だと違うだろうけれど、

潰れかけたような自営業では、当たり前だと思う。

だって、はらってないんだもの。

このご時世、はらっていなくても、もらっている人も多いようだけど。


そして、今回父が他界したため、

「でも、ローンは終わるでしょう」

というおばに

「家を建てたのが、60歳過ぎだったから、

私が死んだ時に ローンが終わるようになってます。」

と、言ったら驚いていた・笑。


会社勤めだったら、

もっと、年金がもらえただろう。

あれだけ、朝から晩まで働いても こんな感じだ。

商売も母の言うことも聞かずに

家賃・光熱費などを考慮せずに

ばかみたいな値段をつけたりしたから。

売っても売っても 採算が取れず...

人が動くことを働くというのであれば

確かに 働いていたと思うけれど、

それ相応の対価は得ていなかったと思う。

むしろ、スーパーなどで働いていたほうが

ちゃんと給料がもらえてよかったのにと思う。

刺身の切り方もきれいだったと評判だったから。

母は、徳光さんのテレビにちょろっと出て

自慢のお惣菜を披露したり、

ずいぶんと昔に

近所の乳児が連れ去られた時に

犯人逮捕の通報をして 金一封(500円・笑)もらった。


小学生の頃、絵の具で絵を描いていた時に

肌色に困っていたら

赤と白と黄色(うろ覚え)を少し混ぜればいいんだよと

教えてくれたのは父だ。

父が絵を描いているのを見たことなかったけど。

ちょっと、見直した瞬間だった。


母と父は、散骨しようと思う。

後を継ぐ人もいないだろうし。

そして、小さな壺にほんの少しだけ分骨し、

私の部屋に置こうと思った。

墓参りせずにすむという... ずぼらな考えもあるかも...





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すべて終わってしまいましたが... [秀夫ちゃん介護記録]

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6/28、母の時と同じ臨海斎場で火葬がすみました。



6/25(月)、見舞いに行く。

ほとんど、寝ている様子。

一瞬、目を開けたので「おい、起きたの?」と聞くと

こくんと頷く...

そして、また、寝てしまう。

『また、水曜日に来よう』 そう思った。


6/26(火)、いとこが見舞いに行った。

いつも寝ている父が起きていた。

看護婦さんに

今日の日付等、質問されていた様子。(ボケ確認かな?)

それを横で聞いていて ちゃんと答えられていたので

いとこも ぼけてないなと感心したという。

それがすんで 父と少し話、

「また、来るからねぇ」と手を振ると

父もいろいろとはずしてしまうので

ミトンをつけられている手を振っていたという。


さて、風呂でも入ろうかなと思っていたら

22:30頃、病院から電話があり

消灯してすぐにたんが詰まり、

吸引してから一時落ち着いたのだけれど

心臓の動きが悪くなってきたというので

ご家族の方に来てほしいとのことだった。

弟にも電話して

30分かけて歩いて行った。

ついた時には、もう息をしていなかった。


当直の先生からの説明。

ものすごく日焼けした20歳くらいにしか見えない小僧と

やはり、20歳くらいにしか見えない化粧ばっちりのねえさん。

なんとも 重みはないけれど

こうゆう人たちが続いていって病院が成り立つんだもんなぁ。


何度か聞いたような話を聞き終えて

私も質問してみた。

「胃ろうとか高カロリー点滴は延命ですか?」

「胃ろうや高カロリー点滴を延命とはとらえていません」

との回答。

やはり、『違うじゃないか』という気持ちがした。


子供の頃に 父に遊んでもらった看護婦さんもいて

入れ歯をしていなかったので

「入れ歯ってつけてもらえますか?」

と聞くと、快くつけてくれた。

霊安室までいくまで 何時間待たされるのだろう。

実際には、夜中の2時ごろにタクシーで帰ったのだから

それほどでもなかったけれど、

ながかったなぁ... 気分的には。


そして、霊安室では

葬儀屋がああだこうだといってくる。

何度も断り(かなり、しつこい・笑)

ネットで火葬のみの安いものを探した。

甲斐性のない子供たちなのであきらめてください。



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6/27(水)

父を乗せ、葬儀屋まで行く。

書類手続きを済ませ、父に線香をあげ

蒲田駅まで 帰る途中、弟が言う。

「母ちゃん、蒲田警察にいて(特養での突然死だったので)

 父ちゃんもこんな近くの葬儀社で同じ斎場でさ。」

縁があるのかねぇ。

少し歩くけど、並びだったから...  


6/28(木)

私、弟夫婦、いとこ、そのいとこの母で父の兄の嫁

たった5人でのお見送りだった。

母も父も 本当なら何十人もの人が集まってくれるような

人付き合いをしていたはずだった。



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臨界斎場までは、モノレールに乗り、

久しぶりに山本精一氏の歌を聴きながら行った。

ものすごく驚くこともなく、

とてつもない悲しみもない

どうにかやり過ごせる程度の起伏の日々、

そんな思いが心地よく聞こえてくるようだった。


臨海斎場につくころ「泣いてたまるか」が流れた。



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母の時も 秋口だったのに こんな暑い日だった。



さてさて、

13時に火葬の予定が、父がつかない・笑

「ビビッて来させないとか」

「違う斎場に行っちゃったとか」

「最後まで ネタが尽きないよなぁ」

そんなことを言ってみんなで待っていた。


葬儀社の手違いだったらしく

ぎりぎり間に合った。

父の顔をみんなで眺めながら

にこにことして話しかけ

弟は、こっそりタバコを棺の上に置いていた・笑


一時間、サ店でみんなで待つ間、

昔の話やら、いろいろと笑いながら話した。

父が若いころ、片道だけのお金しか持っていかずに

スキーに行き、

お金がないので迎えに来てくれと電話してきたとか...

そんなことばかりで

秀夫ちゃん伝説は私が知らないだけでいろいろとあるようだ。

野球のピッチャーをしていて

あと一勝で甲子園に行けるところだったとか。


一時間というが、なかなか呼びに来ないので

叔母が

「よく焼いてくれてるねぇ」といい、みんなで笑った。

この人も父と同じ86歳。 叔父が89歳。

今年2回、救急車で運ばれている。

父の兄弟9人のうち、あと3人存命。


かなり前から

『きっと、私は孤独死というやつになるんだろうなぁ』

と思っている。

けれど、昔からニュースでかわいそがって伝えられているけれど

『それほど、可哀そうでもないんじゃないかな』

と思っている。

まあ、いろいろと後始末に迷惑かけるかと思うけれど。




ほとんど、介護することなく終わってしまった。

押し入れ半分を占めている買いだめした紙おむつは

妹関係で行き先が決まり、一安心。

3年くらいはと覚悟していたけれど。


ただ、「胃ろう」にして在宅だと

そういった介護費用だけでも ざっと12万以上。

あいているなら、施設に入れたほうがいいのかもしれない。

ただ、施設もそこそこ東京付近で15万以上だったりする。

ただ、「胃ろう」にも種類があり

90分かかるもの60分かかるものがある。

「胃ろう」はヘルパーさんではダメなので

看護婦さんに取り換えてもらったら

昼の5日間90分で入れると16万以上。

60分だと7万以上。

保険がきかない分、どえらい金額。

以前、点滴をしてもらっていた時に

終わったころにそれを取りに来てもらうだけで5千円くらいする。

なので 私が帰るまで つけっぱなしで私が取っていた。

家のローンがなければ、

少しは楽なのだけどね。


そして、今回のことで思ったのは

最初の医者との確認が必要だということだ。

『胃ろう』にしても生きてほしいかどうか。

ただ、医者に聞いた時に

認知症になってしまい、食べなくなってしまった場合には

「胃ろう」にはしないできないということだった。

食べたいのに食べられなくなったという前提と

医者との話しで 私は受け止めました。




忌引きで久しぶりの長期休み....

父がくれた休みだ。

まぁ、父のものをほぼ捨て

支払いは変わらないが、電気などの支払い名義を私にする。

部屋は、姪が使う。

数か月は、お線香をあげてくれる人が来そうなのでそのまま。


あの世で 母に迎えてもらえているだろうか・笑




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さて、方向転換... [秀夫ちゃん介護記録]


 

地元近くの病院で

医者、弟を呼んでの最終的な話し合いのため

仕事を早めに終わらせた。


職場の駅の踏切で

ふと、何かに呼ばれたように空を見上げると

初めて見る雲の中の虹があった。

写真だとうまく写らないけれど、実際にはわりとはっきりと見えた。


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私は、今日すべての治療をあきらめて

あとは、本人の体力に任せます... と、いうつもりだった。


ただ、これを見てしまうと

もう少し、やらせてもらってもいいものなのではないかと

心が揺らいでしまった。


ずっとずっと、考えていた。





あと、15分くらいで着くであろうバス停で

また、空を見てみた。


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きれいだった...




とりあえず、病室につき、父が起きていて聞けるようだったら

「胃ろうにする?」と、聞こうと思った。


前日、考えていて 朝の5時ごろに寝たので眠たかった。


実のところ、夕べもなんだかこのまま死んでしまうようにも思えなかった。

年齢的にも 無理に永らえるのも理不尽だ。

本人が、どうしてもというのなら別だが。

本当に小柄なので

40代くらいの時でさえ、ベストが45kくらいだったと思う。

そんなだったから、

若いころにはよく、競馬の騎手にスカウトされたそうだ・笑


骨川筋衛門といわれたりしてね・笑


『もう、何もしなくてもいいよ』といった父の言葉が

本当にそれでよかったのか、確認したかった。


まずは、前日の医者との会話での

自分の中での勘違いが、気持ちの中にずっとあった。

病室について、弟夫婦がいたので

昨日からずっと思っていたことを言った。


家では、栄養が取れないので

病院で栄養価の高い点滴をして様子を見ようと思っていた。

(この栄養の高い点滴は病院での処理が必要だと言われたから)

現実、それをしていての現状なのだと思っていた。

ならば、もう仕方がないのだろうと...。

ただ、

はじめの私たちの言葉での「延命措置」はしない、

という意向通り、ただのスポーツドリンクに毛の生えた点滴だけだった。

私たちは、この栄養価の高い点滴を延命措置とは感じていなかった。

そんなことならば、

一日であれ、10年であれ、完治であれ、

すべての治療は、「延命措置」なのではないか?

無知なのは、開き直りでの承知の上だ。


私たちが「胃ろう」を延命措置だと認識していなかったのには

以前の母での処置過程にあった。

母の時にも 本人の希望もあり、

無理な延命、人工呼吸器などはしないということで

「胃ろう」という処置が、今回の医者のいう「延命」というほどの

重みもなく、はじめられたからだ。


病室につき、私たち三人がざわざわと話していたので

父も徐々に目を覚ましたようだった。

多少耳が遠くてわかりずらかったけれど、

それなりに会話と頷きや笑いがあった。


私も ここまで意識がはっきりとしていると

このまま、ある意味ほっておくというのも変な気がした。



そうこうしていると医者が来たので

別室で話が始まった。

前日までの私の様子でこのままでいいのだろうという感で

医者の話ははじまったが

それを遮断して弟が涙目で(後から病室に戻って見たらそうだった)

医者にいろいろと聞き始め、

その嫁も「これであと終わりなんて私はいやです。」と

ドラマみたいな展開となった。

医者は、「お話はまとまっていなかったんですか」と

すこし厄介そうなそぶりを見せた。

そして、

父の状態が、飢餓状態でうんぬんとはじめ、

「このまま、お看取りという方法も」

と話を進めようとしていったので

前々から思っていたが、せかされるような感覚だった。


で、

結局のところは、


高栄養な点滴をはじめ、様子と体力の回復を見て

胃ろうにしていくということになった。

そして、在宅介護だ....


今までと違うところは、

「胃ろう」となるといままでのようにヘルパーさんではできないことだ。

これによって

私の負担と経済的な負担とで

どれくらいになるか....


なるようになるのか?

あとで 後悔するのだろうか?


話し合いから、病室に戻ると

例のミキサーライスがあった。

父も起きていて ふがふが言いながら笑っている。

弟の嫁が、

「こんなに話せて意識もあるのに...」

と言った。

「もともと、くいじがはっているから。

食べられればいいんだけどね。

前も寝ている時に

スプーンですくって何か食べている仕草をしていたから。」

と私が言うと 嫁もうんうんと頷いていた。



しばらくして 外に出た。

「ねぇねぇ、あの医者なんかおかしいよ」

「なんであんなに 終わらせようとするわけ」

「だいだい、目つきも悪いよ。見開いちゃってて」

弟夫婦が、私のそれまで思っていた医者への印象や不満を

同じようにぶちまけていたので

「やっぱ、そうなんだ」と、少し安心した。


ただ、「延命措置」に関しての

認識の違いは、もっとこちらも尋ねてもよかったのかもしれない。


実際、これからの措置をしたからと言って

高年齢でもあり、

その途中で どうにかなるかもしれないのだ。





病院に入る前のきれいな三日月の空。


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6月20日、週末は見舞いに行けないので

様子を見に行った。

点滴内容が変わっていた。

早々に やってくれたようだ。 ありがたい。


父は、また寝ていたが

例のミキサーライスが並んでいた。

看護婦さんにいって食べさせてみようと思い

父を起こしてみる。

「ご飯食べる?」と聴くと

はっきりと「うん」と言った。

いろいろな管を外してしまわないように

ミトンのような柔らかいグローブをつけられているので

私が6種類くらいあるものをスフーンで食べさせてみた。

それぞれ各3スプーンずつ食べた。

少ないけれど、

ざっと見てみても全部食べるのであれば

どんぶり軽く一杯にはなると思う。


グローブが痛いとか

飯がまずいとか、水が飲みたいとかいうが

「もう、どうでもいい」とかいうことは、一言も聞いたことがない。

本人は、わりと死ぬ気がないように見えた・笑

トイレに行きたいとか、なんどか普通に言ってたり...

やはり、極楽とんぼなのか、

ある意味いいことなのだと思った。


少し痛がっていたりする様子を見ていると

永らえさせることも 悪い気がしてくるが

本人が、頑張っている間はやれることをやるだけだと思った。



 


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最後通告....6/18 (月) [秀夫ちゃん介護記録]


さて、今日の医者との話し合いで

私は、勘違いしていたことに気が付いた。


延命措置ということ。


私は、意識もなくなり、人口呼吸が延命措置と思っていた。

ある意味、胃ろうも延命措置だということだった。


私は、入院してからの点滴が

自宅でしていたものよりも高栄養のものかと思っていたが

家でしていたものと同じでスポーツドリンクよりちょっといいものであった。


胃ろうにするのであれば、もう少し早めにするべきだったと

いまさら言われた。


今日見た父は、やはり干からびていたよ・笑

ずっと寝ていて

私が、父を覗き込んでいたら

若い看護婦さんが来て

「魚秀さんのおじさんだったんですね。

顔が似ているなあと思って聞いてみたら

そおだよっていってて」

「小さいころにかわいがってもらっていて

デパートの中を乳母車でぐるぐる回ってもらって」

とのことだった。

自宅の近くということで こんなこともあるものですね。


ずっと寝ていたけれど

一瞬気が付いたのか、しわしわの笑顔をした。

入れ歯のない口で少しふがふがとして

また、寝てしまった。


この状態のままだと 一週間持たないといわれた。


私は、胃ろうにこだわっていたが

先生からは、人間の尊厳とかなんとか言われた。

明日、弟と医者に最後の話をしに行く。


なんか、まだのような気がしてならないんだが.....

そんなものなのだろうか。


再入院した時点で

もっと、ちゃんと先生と話しておくべきだったとも思った。

このまま亡くなったとしても

これが、少し前でいうところの老衰だといえます。

このままでいいのじゃないんですかといわれている気がした。本人にちゃんと確認ができないのもなんだが

以前、母の時にも

「俺は、いろいろとやらなくていいからな。」

と言っていた。

確かに 意識がなくなってからも生きることはないと思うけれど。

うちの家系は、ボケないようだ。

意識がはっきりしているというところで

私の気持ちは、少し揺らいでしまう。




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