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お天道様はみているという話 [・・・♪]



「お天道様は見ている」という感覚を

子供のころから、なんとなく持っていた。

悪いことをすれば、

必ず、報いがあると.....


以前の職場、いい年になってからのある日、

ささいなミスをくどくどと注意というよりも愚痴られた。

けれど、

その人も人のことがいえるほどでもない人で

女将さんになんどか注意されたけれど、

その人自身が女将さんの身内ということもあってその注意を聞かずに

くわえタバコでてんぷらを揚げるような女性だった。

私のことだけではなく、

その料理屋に嫁に来た人のことも

くずくずと言い出した。

ひとしきり、お小言を聞いて事務室に戻る途中に

ふと、

「人のことばかり言って、こんな人しばらく声が出なくなればいいのに」

本当になんの感情もなく意識もなく

ふっと、小さな声で呟いた。


昼ごはんがすんで しばらくしてから

板場の人が「〇〇さん、鯛の骨がのどに刺さって話せなくなっちゃって。」

と、その人が話せなくなったらしく....

「ふーーーむ」と肝に銘じた。

だから、自分に悪いことがあった時、

自覚のあるなしにかかわらず

「きっと、悪いことしたんだなぁ。」

と思うようになった。


そんなことが、何度かあったので

いやなことを言われたり、された時には

「きっと、いつか報いがあるさ。」

と思うと、わりとイライラせずに済むようになれた。

ただ、

そうなったかどうかは、確かめられないことのほうが多いけどね。

 



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壊れるというきれいさ、 [・・・♪]

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 ・

焼き物も ガラスも

たとえ砕けて散ってしまっても

それはそれで きれいだと思う。

人は.....

人も たとえ壊れてしまっても

美しいものなのかもしれない。

むしろ、そんな状態の中の心のほうがきれいなのかもしれない。

けれど、

壊れてしまうということはどうゆうことなのだろうか.....

砕けてしまうということは、

どうなってしまうことなのだろうか。

知りたくはないと思うけれど。

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※マルガさん、写真使わせてくれてありがとう


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投げ銭ライブ [・・・♪]

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最近は、慣れてきた「投げ銭ライヴ」、

実のところ、はじめのころはいくら払えばいいものやら、結構、厄介だった。

「ライヴ代としてはじめから決まっていたらいいのになぁ」と思った。

そんな「投げ銭ライブ」になれてきた今日この頃(笑)、

とある京都でのライヴの時だった。

そのライヴの内容の例えようもないほどの素晴らしさに呆然とした(笑)。

その感覚は、演奏を聴きはじめてからほどなくやってきた。

「んっ? 何なんだこの感覚は....」

まるで淡い暖色系の空間に浮かんでいるような

純粋な多幸感の中に浸りきってしまった。

本当に はじめての感覚だった。

頭のおかしい表現をすると「愛の告白でもされているような・笑」

そんなもの凄い優しい愛情の中に浸っているように感じた。

「いやいや、こんな感覚初めてだぁ、へへへ」

と、あまりに幸せな感覚になってしまったため、

変にニコニコをこえて にやにやとしている自分がいた。

アーティストYは、「今日は投げ銭なんで、50円でもいいです・笑」

と、ライヴが終わって一言。

私は、とりあえず3000円を小さなそれこそ醤油さしのような木の皿に置いた。

それをみて「おおっ、すごい」と小声で隣の兄さんが言った。

私の斜め前に座っているYの常連の女の人が

知り合いの男の人に話しかけている内容が

「私、500円払いたいんだけど、1000円札しかなくて....

おつりで500円取ったら、お金取っていると勘違いされそうで....」

と、かなり長くぐずぐずと言っているのだが

私は、それを聞いてあまりにもムカついてしまった。

そんなに500円にこだわるものなのか?

小銭のある物だけを払えばいいのではないだろうか?

私の感覚からしたら、

その小皿にのせたお金はアーティストに対してのものなのだから

おつりと称されても そんな客に持っていってほしくない。

アーティストが、店に頼んで両替するのであれば構わないけれど、

おつりとして客に持っていかれるのは、

それは絶対に私としては嫌な感覚だった。

ところで3000円は、多いのだろうか? 

あのライヴに? 

少ないほどだった。

ただ、いくら払うか、それはその人の采配で構わないと思う。

500円払うつもりがそれがないというのなら、

店で両替してもらうか、ある小銭の金額を払えばいいのだから。

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中二の哲学... 人・人間 [・・・♪]

「人」と「人間」との違いは何だろうか?

確か中学二年くらいの時に授業の一環として

「自分という人間」というタイトルで作文を書かされたと思う。

しょっぱなで「自分は人間というよりも人でありたい」と書き出した・笑。

そう、人間という言葉・漢字のイメージで

「人と人の間」というものに対して かなり嫌だったのだ。

だからまず「自分は、人でありたい」と書いた。

これは、家の事情から人の繋がりや人間関係のわずらわしさを

子供ながらにクリアーではなくとも実感していたからだと思う。

母親と祖母、親戚たち、両親たちの

目に見える・見えないややこしい事柄に関係していた。

山形の田舎から東京に就職していた母は

自己申告ながら(笑)、美人でもてもてだったらしい。

そこへ当時は羽振りの良かった父との見合い話を

務めていた会社の社長さんから言われ、

実のところ田舎に好き合っていた人がありながら

恩のある人だったので見合いをせざるを得なくなり、

結局はすすめられるままに結婚したという。

母たちの若い頃だったので当時文通だけの交際だった。

相手は教師になりたての人だった。

相手の人もそんなにお金があって跡取りで

先方から望まれているのだったらと身を引いたというが。

わしの思うところ、東京にいたかったし、

そこそこお金があるのならと選んだのではないかとも思える。

相手も気弱で身を引くくらいだし.... 

ところがそんな打算は、家に入ってみたら大間違いで

商売も魚屋で朝から晩まで働き、さほど財産もなく、舅小姑がわんさかいて、

祖母はケチでえばっていて、祖父は女遊びばかりしていて....

と、こんなに書くとぼろぼろな内情ですが、まぁそんなところだったのです。

後からの話では、その好きだった人は校長先生にまでなったということで

「あの人と結婚していたら」と妹にぼやいていたらしい。

わしは、こうゆう時に思うのは

「きっと、母と結婚しなかったから校長先生になれたのではないか」

ということで わりと子供のころからそういったひねた考え方をする方で

ある意味、大人たちからは煙たがられていたわけです。

しかも後日談で、その人は母が入院した時に白いバラの花束を持って来たという。

それは母がねだったからというのだ・笑。

そして、その男の人は自分の長女にわしの母親の名前をつけて、

それが奥さんにばれて大変だったという。

そんなに好きだったんなら、なぜ、人は別れたりするんだろう。

しかも、当時双方の思いもをわかっていたのに。

ただ、片思いで後日両想いであったと知るのであったならいざしらず....

『星影のワルツ』という曲を聞きながら涙ぐむほどの後悔。

それも強要されたのでもないのに「恩があったから」とは理解不能。

直接、母に聞いた時には「無理強いするような社長さんではなかった」と言っていたし。

だいだい、本当に嫌だったら絶対に逃げ出しそうな母なのだ・笑。

やはり、天秤にかけたのだと思う。 選んでしまったのだと思う。

そう素直にいえば、むしろ致し方ないなぁと思うけれど。

小学生の頃、「おばさん」と呼ばれていた人が祖父のお妾さんで

年上のいとこがその人の子供たちと知るのは高校生に入る前の頃だったと思う。

ただ、妹はもっと前から、しかもすごくディープなことまで知っていた・笑

そんな強烈な環境の中でも

今思えば、意外と笑い声の絶えない家であったとも思う。

先日、とあることから30歳前後の自分の子供くらいの人たちと

打ち上げと称する環境で話すことがあったのだけれど、

『なぜ、結婚していたり、愛する人がいるのに他に目が移るのだろうか』

それが、心変わりというものなのだろうか?

わりと普通に目移りするようなことを言うので理解できない。

自分も結婚していたり、長く付き合ったりしていたら

そんな気持ちになってしまうのだろうか?

と、話がそれて行き始めましたが、

それで、ずっとそのわずらわしい人と人の間ではなく、

自分は一人の人として生きて行きたいと思ったわけです。

そんな因果で一人のままなのかもしれない・笑。

50年もかかってやっと見つけた

『複雑で細やかな魂の光を持つ希有な人』は持ち去られ。

って、自分のものでもないのだけれど

..... どうにか、奪還したいものだが・笑。

ほとほとに天を仰ぐばかりな心境なのであります。

と、愚痴に突入しそうになるのでもとの話に戻りましょう...

中学の古典の時に夜這に来た男の人が

笛を吹いて合図をするという場面の話を聞いた時に

「なんでもっとこっそりとこないものかな」と心の中で思っていたら

先生が解説をしながら女の人の心境で「こっそりとくればいいものを」と説明して

「まぁ、君たちにはわからないかもしれないけれど、

もっと大人になるとこの心境がわかります。

まぁ、このクラスにはそんな心境を分かる子はまだいないと思うけど」

的なことを言われ、「んっ」と思い顔を見上げると、

先生と目が合うも『ないない』と目を伏せられてしまった・笑。

ずっと、人間と人のことを考えたりしていて

いっそのこと山奥で炭焼きをして暮らしたいと心底思っていた。

炭焼きがものすごく大変なことは知らなかったので...

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脳内バランス [・・・♪]



ƒ脳内バランスというものがあるとすると

今は疲れるけれど、とてもいいように感じる。

以前のように事務仕事ばかりの時、

たまにいろいろと駄目になる周期があり、

仕事も妙なミスをしたりしていた。

ライヴに行くことで天秤のような

左右にふらふらとするようなバランスができた。

そして、ライヴのビデオを撮らせてもらえるようになると

ふらふら感はなくなりだした。

でも、ある時期にぱたっと倒れることがあった(これ、比喩です・笑)

これが2点バランス。

これは、気持ちのバランスでなんだかどうしようもない感覚なのだ。

レジのバイトをし始めると昼間の仕事の変なミスがなくなった。

これが3点バランス。

左右の脳がとてもバランスよく感じ始めた。

そして、4点バランスをと欲張ってはみたけれど、

どうも如何ともしがたく、

そんなところの迷いから馬鹿な失敗を繰り返してしまう。

4点バランスになれたら、本当に心が楽になれるのだろうか? 

かなりの欲張りで忙しくて、どうとも確信は持てないけれど。

私は、そんな夢の景色を近年にはないくらい

かなり強く願っているのだ・笑。

けれど、それは思いもよらぬことから頓挫してしまった。

でも、私はそれをあきらめてはいず、

恐ろしいほどの『できるかも』という確信はなくならない。

ある意味『自分は病んでいるのだろうか?』と思えるほどに。

もしかしたら『極楽とんぼだからだろうか?』...ふむ。

 

以前、単純なゲームにはまり、各画面をすべて書留、

迷路というものは指で覚え、

クリアーするのに3日間位ほぼ寝ずにやりとおしたことがあった。

「だめだ、わしはこうゆうことをしてはいけないタイプなんだ」

と自覚してやめることにした。

ハガキより小さいサイズのゲーム機の時にも熱中してしまったことがある。

車でどんどんと追い越したり、

対向車をかわしたりして行くゲームで

いつの間にか車と車の隙間を斜めにすり抜ける技を覚え、

いつしか画面の一番上のレーンにとどまり、

対向車を見ることなく適当にかわして

99(最高点)に達するようにまでなったことがある。

そのゲームの所有者の弟が「それってなにしてんの」と驚くので

「超能力だ」と適当に答えたことがあった・笑。

まさに感としかいえないもので

「だめだ、やっぱり終わるまでやめられなくなる」

と、危険なのでやらなくなった。

人がゲームをしているのをアニメを見ているようで楽しくみられる。

そのほうが気が疲れないからだ・笑。

そして、今の少々無理と思える時間の中での生活を

なぜへらへらと続けていられるかというと、

私には、この状態をやりとおそうという気持ちがないからだ。

本当に自分が無理になったらケツまくって逃げる算段でいる。

『かあちゃん、その時にはごめん』と思っている。

だから、いつでもやめられる・逃げられる

思っているからやっていられるのだ。

ただ、この生活ができたことはとてもよかったと思えた。

人生50年たっても、まだまだいろいろなはじめてがあるし、

それに気づくことができて体験できる機会を持てて、ありがたいと思う。

そんな中、私はここ数年別の初めてに思いを馳せていた。

そして、それを考えるだけでもがんばれたけれど、

その初めてが微妙になってきていてかなり悲しい。



以前、社長が拾ってきた亀を

もらってこようかとも思ったことがあったけれど、

よくよく考えてみたら、

朝の八時に出社すると深夜パートのある日は帰宅が夜中の一時になる。

そうなると15時間餌をあげられないし、

あげられるのも真夜中になってしまうので、

これは無理だとやめておいた。

今の段階では爬虫類くらいしか飼えない、まぁ嫌いじゃないけど。

ペットを持つなどは、

自分の中ではかなりの贅沢なのであります。

そんなことでいつまでやり続けるのか自分でもわからない....



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春に思ったりすること (春と関係ないですが・笑) [・・・♪]

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Twitter・ Facebook などで

ライヴのお誘いなどをいただくことがありますが

前々から「これは、どれくらいの意図があるのだろう」と悩んでいました。

いっせいにフォローしている人に送られるものなのか? 

とりあえず、送る相手を意識して送られるものなのか?

はじめは、それなりに

『 参加 』 『 不参加 』 等のぽっちを押したりしていたものの、

現状、行けないことのほうが多いもので....。

しかも絶対に行けない日であったなら

すぐに『 不参加 』と返信するのもなんだし... 

で、いっそのこと何もせずに行ける時だけ、

予約を入れたりしていたのだけれど... 

実のところ、どうしたものかと考えてしまう。

休みであったとしてもやることもやりたいことも滞っていたりするし。

そして、ライヴハウスだとタバコが本当に駄目なので... 

これは、嫌いというよりもアレルギーに近くなってきていて

帰宅途中の電車の中では

自分がタバコ臭くなっているせいで咳込みながら帰るのだ。

そして、数日間は目がかなり痛くひどい時には充血している。

そして、のども痛く、これも何日間も続く、

のどというか扁桃腺が痛く耳まできてしまう。

昼の仕事はそこそこごまかせて大丈夫だけれど、

夜のバイトでは、大変困る。

まず、休めないので体調管理は万全にしたい。

ということでお誘いは告知としていただけたら嬉しいですが、

これからは、やはりはっきりと『 不参加 』の時には

早々に愛想もなく、ぽちっとしてしまうご無礼をお許しください。

そして、日曜日は交代する人がいなくて休めそうにない。

一緒に日曜日出ている人たちは

私に休みがないということもわかるので

「月の内半分くらい出てもらえないかなぁ」という。

けれど、交代がいないので

当然その日曜日は一人減った体制でということらしい.... 

れもなんだしなぁと思う。

学生は翌日学校があるからというが

別の日もあるではないかとも思うんだが。

私に切実感がないのがいけないらしいが、

実のところかなり欝にはいりつつあるのだ・笑。

人間と接しなくてもよい日がほしくなってきたのだと思う。

一人でいる時間がほしいのだと痛切に実感している。

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赤ちゃん返り... ? [・・・♪]

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ここ数カ月の実感として

何をしていても楽しいのだ。

へまをしても 少しすると別の楽しいことがあってチャラになる。

もともと、考え過ぎても途中で「まっ、いいか」となるタイプなのだが・笑。

かなり、怒りっぽく、いらいらとする方だった。

若い頃の私は

「人を消せる超能力とかあったら、一週間で山手線の人口が半分くらいになるよね」

とよく言われた。

今も眉間に縦じわが残るほどにイライラしていたのだと思う・笑。

日に千度(ちたび)心は谷に投げ果てて あるにもあらず過ぐる我身は

という歌をよく勝手に実感したものだけれど、

考えてみたら、そのイライラの大半は自らのせいなのだろうとも思える。

そんなこんなで このところへらへらにこにこと過ごしていたものの....

先日、久しぶりに 通勤時間帯に電車に乗った時だった。

次第に怒りが.... ふと、口をつく言葉の殺気立つこと・笑。

『ああ、私は私なのだった』と痛感してしまいました。

この通勤のイライラというのは、どれだけ心に悪影響を及ぼすのだろうか。

人とすれ違う時にも 全く避けずにそのままぶち当たってくる奴も多い。

平気で横入りをする。

以前の私は、周りの音が気になるのでヘッドフォンをして通勤していて

ある時にふと不思議に思ったことがあった。

よくよく考えてみたら、思ったことをぶつぶつと呟いていた時に

結構声が大きかったようで

ちょうど、私の前の人には聞えているようだったのだ。

ムカつくことを呟くとなぜだかほとんどの場合に自分の前の人がすっと避け、

さながらモーゼの十戒のようだった。

とても歩きやすかったのだ。

そして、声が聞こえていたことに気がつかなかったのは、

前の人がことごとく振り向きもせずによけるからだ・笑。

確かに自分の後ろでぶつぶつといわれていたら

振り向きもせずに避けるのは当たり前かとも思えるけれど.... 

自分がそれをされた場合には、むしろへそ曲がりなので

「どいてください」といわれれば、どいてやらんでもないのだが、

ただ、ぶつぶつと言われたらむしろもっとゆっくり歩くと思う。

当時は、いつ刺されてもおかしくないかもとも思って覚悟をしていたくらいだ。

言わずにはおけないというか、

もう無意識に言葉が出てきているのでとめようもない。

携帯を見ながら歩いていて前はガラッと空いているという時には

「このクソガキがジジババでもないのにちんたら歩くなぼけっ。端行け端。」と。

後ろから無理に私の前に割り込んできて

割り込んだ途端ちんたら歩いていると

「なんだてめぇ、割り込みやがってボサボサのたのた歩きやがって。」と。

高校生の時にチカンが触ってきたので

「このぼけやろう、そのうすぎたねぇ指の間接ごとバラバラにしてやろうか、おいっ。」と、

とはいえその相手に面と向かって言うでもなく、

どすの利いた低い声でつぶやくので隣の友人が

「えっ、どうしたの?」と不思議がり声をかけてきた。

「後ろのチカンやろうが人の尻触りやがったんだよ。」と答えた。

...まぁ、こんなことは序の口だった・笑。

でも、見た目はぜんぜん不良ではなかったのです・笑。

わりとすいている車内でのこと、渋谷で降りるのでドアの前に立っていた。

ドアに手をついていたので ドアとの隙間はから25cmくらいだろうか。

後ろから小柄な30くらいの女性がその隙間に割り込んできた。

私は、開いたらすぐに降りたかったのでドアの中心に手をついていたわけです。

車内は、かなりすいていてそこだけが密集している・笑。

私はへんくつなのだけれど、たとえばその人が、

「すみません、すぐに降りたいのでそこにたたせてください。」

くらいに言ってきたら、譲っただろう。

けれど、その人は決して離れようとしない自分とドアの隙間にじりじりと割り込む。

たいていの人は、どくのだろう。

きっとこいつはそうして今まで我を通してきたのだろうと思うと

「今日は、させないぞ」と思ってしまったのである。

私の立っていたドアが、渋谷で改札の正面になるので、そこを狙っていたのだろう。

ほかのドアには、誰一人としていず、

普通はほんのすこしずれてもそちらのドアに行くと思う。

それを考えても

「この女は、こうやって今までに何人もどかせて思い通りにしてたんだろうか?」

と思うともう絶対にどくものかと私もわがままなので我を通した。

その女は、なにやらぶつぶつと不満そうにしながらもそのドアと私の隙間にい続けた。

周りの人がその妙な様子を見ていたと思うけれど、

変な緊張感が車内にあった・笑。

「お前が、その隙間に入ってきたんだからその隙間のままにいろ。」と、

私は心の中でつぶやいた... 声に出してたら、へへへっ... かなり、きつそうだったけどね。

それは2駅間続き、渋谷でドアが開いた瞬間に振り向くでもなく

「このブス」といって後ろ手に私をぐっと押してものすごい勢いで飛び出した。

むしろ、押された私がびくともしなかったので飛出ちゃった感もある。

そんな小柄な女の人に押されてもびくともしない胴造りポーズで立っていたからだ。

(弓道での立ち方で肩を小突かれても動かないたち方である。)

そのあわてぶりがおもしろくて怒るよりも笑ってしまった。

その人は、あまりにあわてたので降りたとたんに軽くこけた。

「階段で落ちそうだな」と思うほどにヒールでつっかかりながら歩いていった。

まだ、25くらいで大人気なかったし、どうもその横暴さが我慢ならなかったのだ。

今だったらそうして割り込んできたら、自分はどうするだろうか? 

ふと、思うも

... やっぱり、同じくらいのことはするかもと、今改めて思ったりした・笑。

というわけでも、やっぱり、空を見ても月を見ても雨粒を見ても

「わぁ、きれいだなぁ」とうれしくなり、変に楽しくなり、幸せになれる。

「ああ、人は年とともに穏やかになるものなんだなぁ。」

と思っていたが... どうも、違うようだ。

それは、とても居心地のいい景色を見つけられたからかもしれない。

とも、思える。 ありがたいことです。



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リアルな夢というか.... [・・・♪]

最近は、なかなか見ないのだけれど

以前は、割とリアルであったり、

しっかりとした筋書きのある夢を見たりした。

けれど、リアルとはいっても 現実感のないものもあったりする。

しかも、まったく同じ濃い夢を何度も何度も見たりした。

そうすると、なんだかとても深い意味でもあるのではないかと

勘違いとでもいえるくらいに 思い込んだりしたこともある・笑。

悲しい夢では、現実では思ったこともないくらいの切なさと悲しみで

泣きながら眼が覚めたこともある。

妙に面白い夢では、自分の笑い声がうるさくて

眼が覚めたこともあった。

 ・

 ほの暗い森の中を歩いていた。

静かで自分が落ち葉を踏む足音しかしないような森の中、

あてもなく、ただただ歩いていると

ずっと前のほうに何かの気配を感じた。

ぶわぁーーーっと、風が吹いてきて

その風にのって声がした。

「おまえは、なにものだ?」

低く大きな何かを感じさせるような声、

姿はなく声だけ.....

ちょっと、ひびりつつも

「わたしは、わたしだっ」と開き直ってみた。

「そおか」と少し間を持ってその何はいうと

「ははははっ」と高笑いをして消えていった。

私は、その人を愛していた。

けれど、その人とは別れゆくところのようだった。

けれども、泣くでもなく、悲しいというのでもなく

深く深く再びめぐり逢うであろうという

なにか、とてつもない信念のようなものの中にいた。

頭の中に 響いた言葉、

「名前など、忘れてもいい

姿など、忘れてもいい

けれど、私のことを決して忘れてはいけないよ

決して忘れないでおくれ」

自分が言っているのか、相手から言われているのか

よくわからなかったけれど。

なにか、とても心に残っている。

夢の中で わりと夢であるとわかっていることが多い。

一時期は、空を飛ぶ夢ばかりを見ていて

飛ぶ時に 泳いでいるのはなぜなのか?

そして、飛び続けられるのと落ちてしまうのでは

現実の生活での心持が、かなり影響しているのだ。

そのまま落ち続け、あと数十センチというところで

何度か起きることもあった。

そんな時に考えるのは

「あのまま地面に落ちても起きずにいたらどうなるのだろうか?」

しあわせな優しい夢もある。

20歳くらいの頃、何度も見た夢は

何もない草原に自分一人。

ほどほどの大きな木が自分の横にあった。

雨の時には、その葉で雨があたらないようにしてくれた。

すごい日差しの時には、影を作ってくれた。

そして、冬。

自分は、ひざを抱え丸くなって雪の中に埋もれていた。

けれど、その木が横にあったので

少しも寂しくはなかった。

風が吹けば、さやさやとやさしい音を奏でた。

その木にもたれているだけで

とてもつもない安心感で居心地がよかった。

いつしか、そんな人を探していたのかもしれない。

あれもこれもいりはしない、たった一つのその木があれば

本当に穏やかでやさしい心でいられるのだなと思っていた。

すこし忘れていたそんな心を思い出しています。

月があまりに光り過ぎるので.....

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猫砂は、宇宙の星 ? [・・・♪]

今、部屋に猫がいる。

うれしいような悲しいような、部屋には猫がいます。

妹の擁護猫ではあるが猫缶などをくれてやるので

「ごはぁ~ん」と鳴きつつやってきては

そのままお泊りなので仕方なくトイレも置いた。

ぼけているわけではなく、本体がでかいのでちゃんとトイレに入ってはいるが

肝心なお尻がトイレから出てしまうのだ。

はじめは、簡易的に置くつもりだったのでそれにしたけれど、

ジョーっと音がしてそのたびにお掃除となる。

本猫は、ちゃんとトイレで用を足しているわけで怒れもできない。

今年の7月に「ペットが危うい」と卦が出たのでそれならばと終始監視していた。

今までの猫のように時折顔に死相を漂わせていた・笑。

これ、本当に死期が近づいている時の顔ってぜんぜん違うのだよ。

ぬれたぬいぐるみの様な感じであるかな、んっ、違うか?

暑さと高齢のためか、まぁ、いつ逝ってもおかしくなく、食も細かった。

仕方なく、高齢用のミキサーででろでろにしたような餌

(わしが、ゲロ飯といったら会社の子が嫌がったけど、本当にそんな感じだもの)を

与えてみるとまずそうなのにかなり食べる。

「まじ、うまいんかうまいんか、そんなゲロ飯まじでうまいんか?」と、

食べている頭上からエセ関西弁でまくし立てても動じずに食べ続けていた。

しばらくはそれを与え、もう少し実のある15歳以上用のレトルトや缶詰をあげた。

ただ、こいつは、人が食べ始めると必ずおねだりに来る。

パンが好きらしい。

まぁ、いつ逝ってもおかしくないし、本当にすこしだけあげたりしてみた。

トイレの件があまりにも続き、部屋も臭くなると悲しいので

ちゃんと猫用のトイレを買った。

だが、なぜなのだろう長方形のトイレの短いほうに体をあわせてするので、

またまたジョーっと出るのだ。

いつしかトイレの気配の時には、こっそり監視して

する寸前にお尻をトイレ内に収まるようにつんっと押してさせていたのだが。

これも寝ている時には、むずかしい。

そして、何よりも本猫には、不満らしく

つんっとすると恨めしそうに振り向きつつ用を足しているのだ。

まぁね、自分がされたらいやだわよね・笑。 へへへっ。

方角が気に入らないのかなと(笑)、いろいろと位置をずらしたりしては見たが、

不思議と長方形の短いほうでするのだ。

そんなこんなで今も細々と延命しています・笑。

今朝、トイレの周りに猫砂が散っている様を見て

昔の自分が擁護していた猫を思い出した。

ある時、濃紺の絨毯に飛び散った白い猫砂をみて

ぼぉーっと『わぁ、宇宙みたいだなぁ』と思ったことがある。

そう思えば、掃除もさほど苦ではないかも.... ん.... 苦か?

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↑  以前、枯らしてしまった花蘇芳の木の枝で作った額もどき・笑

実は、夜中に長々とつづった文章を消してしまい、がっくししていた、

まあ、人生そんなものですよね。



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早起きは美景色の得 [・・・♪]



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・ 

暗闇の中にかかる透けるような虹を見つけた感動は、

この上もない嬉しさとあまりにも美しすぎて怖くなってしまうような心。

日に照らされ、否応なく見つけられた沈黙。



いくつもの聴こえない音の上に あらわれ浮かぶ旋律。



不幸と叫びながらも、幸せな心。



雨に打たれ打たれ、へし折れそうな心にも

やはりその雨は必要で

雨の止むのを静かに耐えて待つしかないことを知る。



激昂する心の中の弱く繊細なやさしさは、

声を発する震える心のガラスのようなキラキラとした透ける美しさ。

君の手の暖かさを心が凍えるたびに思い出す。

忘れてしまった問わなければならなかった思いは、

ぐるぐると空(くう)を旋回して

静かな高みで放射線状に霧散する。

その美しさも悲しみも誰にも知られずにいた思いは

あまりの深さに消えることもできず、

 そのまなざしにあらわれては

綿毛が種を運ぶように

ひっそりと君の枕元に届けてしまうのだろう。

 ・

 昼の夢にも夜の夢にも あらわれては消え、あらわれては消え、

静かに深くその一部になってゆく....

曇天の奥の澄んだ蒼い色を思えば、どんな嵐でさえもいとわない。

闇に浮かぶ虹を僕は見つけてしまったのだから....

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ということでタイトルは写真にのみ反映しております・笑





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