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轆轤.... [写真を加工したもの]

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轆轤(ろくろ)は、回っている。くるくるくる・・・・。

何が言いたいのか、

それはね、人生ってぇのはね、轆轤の上の粘土なんだよ。

「ちっ、しくじった」と思ってもね、

何度でも捏ね直せるてぇもんだ。

そして、本当にこれでいいやって思えたら焼きを入れるんだね。

それが骨壷。ってぇことでもねぇか。

なんだか、今日はそんなことを思っていました。

人生がくるくる回っていて、

自分たちはそのくるくるの上で人生に形をつけている。

それが生きるってぇことだとね。

はじめは、湯飲みになろうと思っても

ちょっとの手違いでゆがんじまう。

そしたら、茶碗もありかなって 捏ね直してみる。

てぇと、すわりのいい何かになるんだとね。

ただ、無理はいけねぇよ、

ゆがんだままで 足んねぇままで

焼きを入れちまうとさヒビが入って壊れちまう。

てぇことはだ、何にでもなれるわけだな、

確かな意思を持った手で 

人生ってぇ轆轤の上で捏ね上げろってな。

人生を半世紀に達して、

なんだかてめぇでいたほうが気持ちがいいや。

しゃらくせぇことばかりぬかしてっとお天道様が出てきちまう。

魚屋の三代目になりそこね(なりたくもねぇが)

がきの頃から、やくざ映画や渡世物ばかり見ててだね。

家の中で好きに話してっと

「もぅ、あんたはハンバみたいだからやめてよ」と、なんだハンバって?

山形生まれの母がぼやくわけだ。

しゃべり方も早口でまくし立てるものだから

バイトの先輩ではんなり系の女の人から

「なにをいっていたかわからない」と眼を丸くされたっけ。

短気でせっかちで ほんとうに辛抱が足らず、、、、、

『これじゃあ、いけねぇなぁ』と

ぼちぼちと辛抱とゆっくりを覚え(たぶん・笑)

今に至ったけどね、まぁ、もういいよね。

てなもんで 話すってぇと楽だがこうすっと

しちめんどくせえ、なにせ偽江戸っ子なもんでね(笑)。

警察に勤めていた頃(免許の受付・公務員にあらず)、

親分を迎えにやってきたおじさん(その頃、やくざだったらしい・笑)

免許の受付にいたわしに気づき、

こっそりと入って行ったそうな()

おじさん、まだ生きているのだろうか?

なぜ、大学まで出て結局やくざなのだろう、、、、、

しかも奥さんと娘たちとも別れ、

理由が、次女が検事になるから、、、、、 漫画のようだよ。

近所の畳屋さんのおじさんは、

元やくざで戦争に行って片足になった。

けど、小さい頃、大好きでよく遊びに行っていた。

そこで、ご飯の上にバターをのせて食べるのを覚えた。

薪風呂がこわれた時に父と風呂屋に行った。

その時、はじめて刺青を見た。きれいだったんだ。

そのおじさんの背後にじっと立ち、

「おとうさーん、

このおじさんの背中にすごくきれいな絵が描いてあるよー。

ほらほら、みてごらんよー」と喜んでいたら

父が、「すみませんすみません」とわしを連れて行ったけど

おじさんは、笑っていたっけ。

結構、やくざのいる所だったのだろうか?

そして、小学校の頃習字を習っていたのは、元警察官の平塚先生。

結構有名な刑事さんだったと聞くが、あの平塚さんとは違うと思う。

わしは、習字を書くよりも先生のところにあるカレンダーの

竹や富士山や龍ばかり書いていて、楽しかった。

なんだか、やくざと警察に囲まれた生活だったのだとなつかしい(!?)

結局、轆轤はどこへやら..... 

・・


思い出したこと...理想の男性像... [写真を加工したもの]

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子供の頃に好きだったのは、インディアン・ドラキュラ・フランケンシュタイン・忍者物・時代劇・・・。 西部劇の主役は、インディアンに限る()。 インディアン側からの映画ばかり見たためにどんなに悪いインディアンが出てきてても『やられてもしょうがない、こいつらが悪いんだから』とインディアン擁護目線の偏った思考が出来上がっている。 ドラキュラは、なんといっても死ぬ時に灰になってしまえるのがいい、跡形もなくなれるのは今も理想だ。 けど、きっと灰になるのはすごく痛かったり熱かったり辛そうだなぁ とも思います。 そして、好きな人とずっと一緒にいられるのはいいなぁと子供の頃は思っていたけれど、永遠の命の苦痛は計り知れないのだろうといつしか思うようになった。もう、永遠の命をほしがるほど若くもない()

(めい)とは、限りの中でこそ価値があり、意味が際立つのだと思う。 そういいながら、その時には悪あがきをするのかもしれないとも思う 。 今思い出したけれど、その理想の中に「森の石松みたいな人」とも入っていた。 「ぜんぜん、わからない」と何人にも言われたけど、今思うと軸は固まっているではないかっ!!! しかも本当に自分第一にっ!!!。 もしかするとその理由がわかる女性(ひと)は、一生独身かもしれないので、気づかないようにご注意ください。

そういえば、思い出しついでに「現実の人では?」と聴かれた時に「近衛 十四郎か、ばってん 荒川の人」と答えると「誰?」と大抵言われた。 あらためて考えてみても今も変わらないかもしれない。 まぁ、実質ではなく(ご本人を知りようもないし本当はとてもストイックなのかとも思うと、無神経な自分とでは相手がかわいそうだ・笑)演技上の表面的になのだろう。 あと、声とか表情かもしれない。 近衛十四郎という名前は、ずっと後になって知り、「素浪人 花山大吉」という時代劇が大好きでその時は小学生だったが、その時に「こんな人と結婚したい」と思っていたことも今思い出した()。 松方弘樹の父親だというのもずっと後になってネットで知りました。 あらためて今は思い出せない(記憶の彼方である…)ので、ネットで姿を見てみた。 …なるほど・なるほど()。 もしかして....。 DVDでも買ってみようかな。 でも、やっぱりこんな人がいいなぁ… と思うともぅこっち側に戻れなくなりそうな気がしてくる。 元来、ひきこもり気質なのだ。 食うに困らなかったら、自室で絵を描き(もぅ、ずっと描いてないけど)、屋上の庭の整備だけして暮らしたい。 すごーーーく、贅沢なことだけどね。

気になったのでネットで調べなおしてみたら、9歳の頃に55歳の人が好きだったというわけで....  この「素浪人 花山大吉」の前の「素浪人 月影兵庫」の記録もほんのりある。 けれど、これは2歳になる前なので きっと再放送だろうと思う。 本当に大好きだったのをじわじわと思い出してきてしまう本日..... 笑。 いつか死んだら、逢えるだろうかと思うがなかなかそうそう逢える訳でもない。 わしは、地獄に行く予定ですから。 そういえば、地獄といえばいつだったか、餓鬼地獄に落ちる夢を見た時に(笑)、大なべをみんなで腹を減らして囲んでいて、長い箸しかなく、この時に対面の人に食べさせてあげなくては自分・他が食べられないという神様のワナなのだが(そんなテレビを見た後だったと思うけど)、みんな(亡者さんたち)で、あたふたしていた時に「ああ、しょうがないな、みんな向こう側に並んで食わしてやるから」と箸で食わしてやり、我先にとなべの反対側で争う亡者たちに「ちゃんと並べよ、食わせないよ」と怒鳴ると亡者の皆さんが素直に並んで一口食べては後ろに並び..... 食堂のおねぇさん(その時にはお姉さんだったので・笑)のようだった。 ずっとずっと繰り返し永遠としていて、はたと気づく「おいっ、誰かわしにも食わせろっ」そんなところで夢から覚めたという.... しょうゆのいい香りのなべだったが。 どうせならまたいって、今度こそは食べたいとも思う。 

 



 [写真を加工したもの]

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薄暗いモニターの向こう

確かに 気配がある

闇の中、その影は音を放ち、声を放ち、

何も映っていないだろうという思いの中で

何度気持ちが折れただろう

それでも 撮り続けることで

ほんの一瞬でも なにかが記録できた時、

すべてが『感謝』という気持ちになる

本当に不思議と『感謝』という言葉がふと浮かぶ

誰に?  何に?

無意識の『感謝』という思い。

何も 恩を返せないままで中断してしまった

情けなさでどうしようもない

今、去年の写真を整理しながら

ふと、思いを巡らせています...

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撮影の原点・・・ [写真を加工したもの]

        

 

 

 

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               『観てしまうと観えなくなってしまうから、

                        聴いてしまうと聴こえなくなってしまうから。

                             観てはいけない、聴いてはいけない。』

 

 

ライヴを聴いている時の心得の原点であるべき思い。 なかなか、難しくって実践できない。 

撮影させて頂いた全ては記録であり、あたりまえだけれど私の作品では断じてないのだ。 ましてや、私のコレクションでもないのです。 きっと、私ではない誰かが撮影してもその瞬間は劇的だし、美しいだろうし、そのはずだと思える。 素人の自分が、何を意気込んで欲張って、撮らせて頂いているのだろう・・・・・と、思い続けながら撮らせて貰い、『その一瞬の一枚』をたまたまほぼ無意識に撮れた時、『もっと、、、まだまだ、、、』と、満足するどころか次から次へと欲が出てきてしまうのだ。 変に高ぶらずにやれるところまで静かに深いところに心を置いて続けられたなら、極楽なんだけどなぁ。

 


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