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2015.10.04 (日) 火葬.... [日 記]

なんとも この季節にしては暑い日だ。

はじめに用意してあった服はどうにも暑くて

結局、本当に普段着になってしまった・笑。

頼んであった花を受取りに行った。

思いのほか、少なく感じたので 駅前の小さな花屋で

薄いピンクのカーネーションを20本ほど買い足した。

実物を写真にとって置けなかったので 

ほぼ同じものを別から拝借してみました。

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こんな花を買っていった。

淡い色の明るい感じにしたかったので 菊とかにはしなかった。

花を頼んだ後に スーパーに行ったら

葡萄やリンゴ、梨に柿と 果物がたくさん売っていて

『佳子は、果物好きだったな、果物なら燃えるから良いかな』

と、あほなことを考えて 葡萄を手にするも

『そっか、墓参りの時にお供えすれば良いのか』と、やめておいた。

弟夫婦と臨海斎場へ行く、妹夫婦は父と自分たちの子供とで自動車。

私たちは、モノレールに乗った。

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駅に着くと昼だったので 本当に暑かった。

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 これが、買っていったカーネーション。

弟夫婦は、トイで着替える。 妹たちを待っている間のなんとも違和感。

意外と悲痛な雰囲気や泣いている雰囲気はなく、

とても静かで 厳かな感じだった。

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花をみんなで棺に入れる。

さしの入ったバラは、大降りのもので5本しかなかったけれど

顔の周りに配置、かなりいい香りがしていて うれしくなる。

葬儀社の人が、「バラは、とげがあるので花だけにしますか」と

花の頭だけにしてくれたのは、感謝だ。

もっともっと、花を用意して置けばよかったなぁとも思った。

本当にきれいだった。

私も あんなきれいな顔で逝きたいと思った。

本当のところは、写真に撮りたかった。

母とお別れできずにいた人たちのために.....

火葬場へと棺は電動の荷台に載せられていく。

そのあとを親族がついていく。

1時間くらいすると呼ばれた。

「ご確認をされる方」といわれ、よくわからないがついていくと

「お名前のご確認をお願いします」といわれた。

薄っすらと見えにくい「宮崎佳子」の文字にうなづくと心の準備もなく、

火葬場の小さな扉が開き、骨となった母が出てきた。

この時、一人で確認するのはきつかったなぁ。

ていうか、本人かどうかなんでわかるわけないだろ。

かなりの熱でまだまだ熱かった。

小さな火の粉が、転々と赤く光っていた。

灰もあったのでまるで骨がほとんどないように見えた。

奥のほうに頭蓋骨がやや目立って残っていた。

大昔、祖父や祖母の時には、そのまま骨を拾ったように思えたけれど、

今回は灰をきれいに除かれ、

骨だけをそれこそオードブルの入っているような

平たい銀製のものに入れられていて銀の重そうなふたを開けると

母が、真っ白な骨になっていた。

まだまだ、成り立てなのか少々震える手でぎこちなく

その人は、私たちが骨壷に骨を入れると

刷毛で端までも掃いて小さな銀色の塵取りで掃いては取りを繰り返す。

それは、ほぼお手前のように見えた。

この人たちも 大変な仕事をしているんだなぁと思った。

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そして、母の骨壷は妹夫婦が車で自宅へ。

私と弟夫婦は、またまたモノレールに乗る。

安い費用だけれど、葬儀社の人はきちんとしてくれた。

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そして、浜松町で弟たちと別れ、

私は、とにかく何も食べていなかったのでお腹がすいていた。

期待せずに入ったお店で久しぶりにとんかつを頼んだ。

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これが、久しぶりにおいしかった。

とんかつは好きだが、これくらいの肉の厚さがいい。

衣は、もう少しさくさくとあったほうがいいけれど、

これくらいだと油も吸ってなくていいのかなとも思った。

はじめは、ついていたソースを少し付けた。

おいしかったので塩で食べた。

レモンをすこしかけたらもっとおいしかったのに。

久しぶりに塩で食べられるとんかつだった。

豚肉の油もさっぱりしていておいしかった。

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ケーキでもと思ったけど、めずらしくアイスココアを頼んだ。

これがまた、べらぼうにわし好みで美味い。

とろっと濃いココアは、今時なかなかお目にかかれない。

本当に幸せな時間だった。

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お店の名前を覚えておかなかった。

そして、秋葉原へ向かった。

ライヴハウスについた。

テーブルの上にセッティングされている機材が

小さな赤いライトを点滅させている。

その様子が、火葬されて出てきた時を思い出させた。

それもきれいだと思った。





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2015.10.03 (土) 前夜.... [日 記]

そんなことで まず、

10/3()この日は、とある講習があるので土曜日ながらお休みを取っていた。

深夜の仕事も 利害の一致で交代してもらえた。

740分頃に家を出た。

講習を終え、買い物をし、

明日、棺の中に入れる花を頼んでから

14時頃に一旦帰宅、葬儀社からの連絡を待つ。

その間に 弟からメールで

母の誕生日や本籍(これは、住所と違うので)をわからないので聞いてきた。

とはいえ、聞かれたところで私もよくわからないのだ・笑。

金額が出ましたと言うので その先のローンの審査を待つが

なかなか連絡が来ない。

出かける40分前に 仕方がないのでこちらからかなりせかせたら

出かける15分前に メールが来たので審査のために いろいろと入力した。

審査に通ったとメールがきたので安心して

すぐに出かけた.... 秋葉原へ。

『佳子、ついてこいよっ』と思うも やはり存在を感じない。

それにしても こんな自分は、どれほどわがままなのだろうか?

母ちゃん、すまん。

と思いながらも 楽しみでわくわくしていたのだ。

ステージ脇のいつものところに固定カメラを置かせてもらった。

普段はそこに人が来ないので

日本茶と柿ピーを買って こっそりと母の席にさせてもらった。

ライヴが始まる頃には、そこにも何人かが座りだした。

『まぁ、いいか、寂しくなくて』と思った。

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『このGOODMANは、照明がすごくきれいなんだけど、煙草臭いのが辛いんだよ』

と、ことあるごとに心の中で自分なりに解説をしていく。

こんな世界があるんだと言うことや こんな音楽があると言うことを知ってもらいたかった。

私の愛する人や格好いい人やきっと不思議だと思える音楽や

ほぼ触れ合うことのないだろうパフォーマンスを見てほしかった。

途中途中、私は母のことをすっかり忘れる瞬間があって

でも、そんな時こそ、不思議とすぐ近くにいるような感覚にもなった。

死んでしまうということは、そんなことなのかもしれないとも思えた。

私は、さほど泣くこともなく、ただ時折現実を実感すると少し涙目になった。

昨日、霊安室からの帰りの電車の中で

先日、ベアーズで聞いた山本精一さんの「時には母のない子のように」の歌を思い出していた。

子供の頃、よく誰もいない部屋で歌っていた。

実のところ、私は母が嫌だった。

何ではわからないけれど、性に合わなかったのかもしれない・笑。

母が帰ってくる気配がすると吐き気まですることがあった。

特に声がなんとも感にさわった・笑。

申し訳ないことにいつしか声がする時には耳をふさぐようにもなっていた。

前世で何か因縁でもあったのではないかと思うほどにきつかった。

脳梗塞で倒れ、その声も出なくなり、聞こえなくなっても

時折、テレパシーのように脳に直に聞こえてくるのはあの声のままだ。

子供のころからずっと、そんな背徳の心でいたものだから

家から出られるような仕事を受けたりした。

たとえば、競艇の選手や自衛隊とか・笑。

小学校の時の担任が、話半分で

「自分たちに子供がいないので養子にください」と言った時には行きたかった。

そんな母へのいろいろなことを言ったある時、

同僚が「母親だからって、嫌いだって思っても良いんじゃないの」といってくれ、

この一言で 心はすごく軽くなった。

『そっか、嫌いだけど、恩はある人なんだ』と

自分のせいでいろいろと苦労をさせたのだから。

小学校の頃に 近所で赤ん坊の連れ去り事件があった。

魚屋をしていた母が、子供のいないはずの女の人が赤ん坊を抱いていたのはおかしいと

警察に確認するように言ったことがあり、それで犯人が見つかった。

一旦学校へ行くが、学校でそのことでいろいろときかれたり言われるのがいやで

黙って家に帰ってしまったことがあった。

小学校は、児童が一人いなくなったので大騒ぎになっていた。

私は、当時は平屋だった家の屋根に上って空を眺めていた・笑。

二階の窓から、隣のおばさんが「あら、かよこちゃん学校は?

と言うので あらかじめ用意してあった金槌で木の所を叩くふりをして

「うん、屋根を直しているからいいの」といった・笑。

このおばさんが、とろいというか今で言うところの不思議系だったので

「あら、偉いのねぇ。気をつけてね。」ですんでしまった。

その後、家に帰ってきた母にしこたま怒られた。

ある時には、その町の商店街の名物料理と言うことで

徳光さんの番組に出て テレビに映ったりした。

「料理も気になりますが、色っぽいおかみさんですねぇ。」と言われていたっけ。

母は、料理上手で通っていた。

一切習うこともなく、惜しいことをしたものだ。

ライヴ中、目の前のライヴを聞きながら

母を忘れたり、いろいろと思い出したり、なんだかとても不思議な感覚だった。

三脚等があまりにも重いので秋葉原のコインロッカーにおいて置くことにした。

翌日のために臨海斎場への行き方をプリントアウトしたり

バッテリーを充電したり、着ていく服を用意して

結局、そのまま秋葉原へ行くので 普段着で黒っぽく。

かばんは、赤だったりしました。

非常識ですまん、母よ。

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2015.10.02 (金) 残心.... [日 記]

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2015102日、午後1215分死亡確認。
母が、他界しました。
会社に特養から、心肺停止の連絡が来た。
まず、病院に搬送され、不審死としてそこに警察官が来ました。
その日の午前11時ごろに看護師さんが歯磨きをした時には元気だったそうで
12時ごろに遺漏のセットに来た時には、顔面蒼白ですぐに蘇生処置が行われた。
救急隊がきて やはり処置が行われたが心臓が動き出すことはなかった。
通常30分のところ40分の措置をほどこしたがだめだったと言う。
毎回通っていた遺漏のチューブを交換している○○病院、そこで母と対面した。
眠っているようにきれいな死に顔をしていた。
頭を撫で 頬に触れ、首に触れる。 もう、冷たくなっていた。
弟が来るのを40分くらい待つが、あとで霊安室へいけるというのでやむなく警察署ヘ見送る。
車が出る時になって 弟が来た。
それをみかけた担当の警察官が車から降りてきてわざわざ挨拶をしてくれた。
自分は、このところのどの調子が悪く、空調などでも急に咳き込んだりするので
病院の自販機でマスクを買った。
なぜだか、1つのところが2つ出てきた.... 得したのか....
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近くのサ店で、父・私・弟・弟の嫁でいろいろと話した。
妹夫婦は、不在だった。 (妹のだんなのお父さんが癌で見舞いに行っていた)
葬儀は、火葬のみ、墓は祖父の代でかなり大きなものを買っていたので
そこに入れるとのこと。
墓の下は、大人が立てるくらいに大きく、まだまだ余裕があるらしい。
昔、じじばばが変に自慢していたことを思い出した。
移動先の○○警察署に行った。
しばらく待たされ、安置所に行くと検死のために服を着ていないだろう母が
布に包まれ、白い布が顔に掛けてあった。
弟が顔を覆っていた白い布を取る。
3人で 母に触れ、焼香した。
弟の嫁が、すごく泣いてくれた。
実のところ、母はこの嫁をあまり好きではなかった。
なにが気に入らなかったのかはわからないけれど.....
まぁ、弟のことはかわいがっていたから、そんなものなのかもしれないね。
私も少し涙目になっていて それを見た警察官は少し目をこすっていた。
私たちが来る前にも ほかの現場に行っていたというから
本当に大変な仕事だと思うよ。 お疲れ様です。
警察署の駐車場に面した安置所は殺風景だった。
ただ、特養の母のいた部屋からしたら、かなり静かで寝やすいだろうと思った。
その部屋は、4人部屋でほかの人たちはそこそこぼけていた。
四六時中、なにやらつぶやいているばあさんやら寝息のうるさいばあさんが2人。
母は、脳梗塞で右側が動かず、失語症になっていた。
ただ、言葉はほぼわかっていたし、不慣れな看護師に支持したり、
点滴の速度も自分で調整したりすることができた。
少し神経質な部分のある母は、結構辛かったのではないかとも思う。
私の記憶の中の最後の母は、遺漏のチューブ交換を終えて
特養に帰ってきてからのお決まりの別れのシーンだった。
動く左手でバイバイとしながらも いつものように少し涙目の笑顔だった。
母の日に贈ったブリザードフラワーは、
看護師さんたちの大雑把な扱いでかなり壊れており、
「ああ、やっぱりケースないとだめだね。ぼろぼろじゃん。」と笑っていうと
母もあきれたように笑っていた。
次は、12月だったのでその時にまた別のブリザードフラワーでも持っていこうと思っていた。
帰る時に 動かない右手と動く左手をちょっと握る。
どちらも 結構冷たい。 それよりももっと冷たいなぁと思い出す。
さて、私といえば、こんな状況になってから
『まじか、今ですか、佳子(母の名前/よしこ)よ』とずっと思っていたのだ。
それは、翌日・翌々日の予定が詰まっていたからだった。
これは、日ごろ親不孝にしていた自分への最後のいやがらせだろうか?
とも思い、甘んじて受けねばならないかも.... と半分覚悟しつつ、
『どうにかならんものだろうか?』とも思っていた・笑。
母たちが元気な時に
「私は、葬式の日にライヴがあったら、葬式でないから、ごめんね」
と、何度も言っていたことも思い出した。
『もしやこれは普通ではありえない起こりえない私の希望をかなえてくれたんじゃないのか?』
と、ものすごーーーく自分勝手に解釈した。
つくづく、極楽トンボなのである。
『いつもの自分の行っている場所ややっていることを見てもらおう』と思った・笑。
佳子を引きずり回してみようと思った、せめて魂だけでもついて来いやぁって感じで。
意を決して、警察を出る時に翌日のことを弟たちに頼んだ。
帰宅してから、葬儀社を探した。
とりあえず火葬のみ、弟たちは区民葬とかもあると教えてくれた。
10/3は、警察から検死の時間と迎えに来る時間を聞いて
頼んである葬儀社と書類の制作があったのみ。
時間もそこそこ不明だったので 休みを取った弟にそのままお願いした。
費用を私が一人でローンで出すといったので
弟も妹も あとはほぼ言いなりで助かりました・笑。
まぁ、働けるうちが花なので しかも大恩あるしね、やってやりますよ。
今までありがとうって。
ただ、ずっと不思議なのが、死んで間もないのに
母の残心というか、なんかもうすでにそこにいる感じがまったくしなかった。
まぁ、死ぬというのがよくわからないので そんな感じなのかなぁと思うけれど。
帰宅してから、かなり不謹慎なことを思ったのは
例の彼氏が迎えに来たのではないかということだった。
死に顔の穏やかさときれいさ。
数日前に 父が面会に行った時も ちょっと咳き込むもとても元気だったという。
もしも、そうだったとしたら 私はむしろ、よかったと思えるけど。
父には悪いが、むしろ、うらやましいくらいだ。
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病院へ向かう空の青さの美しいこと....







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