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2015.09.06 (日) [日 記]

以前、もしもの場合の話として

「助けを求めている見知らぬ人間よりも飼い猫を先に助ける」

という話を同僚としていた時に

「やっぱり、猫より人間が先だよ」といわれた。

わしは、躊躇せずに「飼い猫に決まってるでしょ」

というと「まぁ、ペットは家族同様というからそうなるのかなぁ。」

と彼女が納得しようとするので

「いや、私は家族というよりも猫は猫として

 見知らぬ人間よりも飼い猫を猫と認識して優先するんだよ。」といった。

「ええっ、それはダメでしょ。人間が先だよ。」という彼女に

「だいたい、助けを求めているからといって

 絶対に助けなければならないってことはないと思うよ。

 しかも、自分を犠牲にしてまで。そんなのは情がなくちゃできないよ。」

そして、もっと前の話。

妹とニュースを聞いていた時だった。

大雨で河を見に行っていた親子のうち子供一人が河に落ちた。

そこを通った警察車両に助けを求めたがその警察官たちは、

目的地である土砂崩れの現場へ向かってしまった。

「なんで助けてあげないんだよ、警察のクセに。」と妹が言った。

「当たり前だろ、なんでそんな危険なところに

 子供連れで行った奴を助けなきゃなんないんだよ。

 土砂崩れで助けを待っている人たちがいるのに。

 それにそんな濁流に落ちていたら、もうずっと下流まで行っちゃってるし、

 そんなに助けたかったら父親が自分の責任で死ぬだろうけど、

 河に飛び込めば良いのに。」

「だって、この父親泳げないんだって言ってるじゃん。」と妹。

「泳げないなんてこと考えずに本当だったら飛び込んじゃうものだよ。

 だいだい、泳げもしないくせに守れもしないくせに

 そんな小さな子供をそんなところへ連れて行くこと自体がおかしいんだよ。」

「助けなければならないのではなく、助けたいと思えるかどうか」

それは、その人の自由であると、わしは今でもそう思う。

もちろん、その場を去ってはいるけれど、

ちゃんとほかの人に連絡はしていますよ警察だから。

先日、電車の中でふと浮かんだ言葉。

 間違いは、間違いだと気づいた時に訂正すればいいのです。

 多少、困難であったとしても

 気づいてしまったのなら、訂正すればいいし、しなければなりません。

 けれど、気づかなかったのなら

 それは、正しいことになるのです。

 それを情というのです。

 これは、結婚という契約に関しての思いです。


 

私は、見つけてしまったあの景色をあきらめないだろう。

たとえ、どんな非難にあおうとも心の罪になろうとも

私は、あの景色を見つけてしまったのだから。

この人生の中でこれほどまでの執着は今までにはなかったから。

一つの覚悟として 一つの望みとして

私は、心の中の私たちは、

私の願いを叶えてあげたいと思うのです。

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